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園長先生のお部屋

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6月 「ばら」

毎年、5月、幼稚園の入り口には、ばらの花が咲き匂う1年中でもっとも美しいアーチができます。大きな真紅のばらはまさに女王、またピンク色の少し小さなばらは、王女さま、それに真っ白にさいた垣根のばらは、さながらお城のおつきの若い女性のようです。

イタリアにこんな、格言があります。「ばらだったら咲くだろう」。ほんものはしっかりと根をはり、大きな花ができるということです。会社、学校も、ほんものならば、必ず、日を見ることをいいます。
ただし、不純なものを斥け、ほんものの保育をめざす心構えが大切であります。

「ばらだったら咲くだろう」もうひとつの意味がありそう。赤いばら、白いばら、ピンクのばら、黄色いばら、いろいろとありますが、こどもたちは、みなばらであることは間違いありません。そして、ばらならば咲くでしょう。

                                                        

ばらの花幼稚園
長澤幸男

9月 「おじいちゃん泣かんでええよ」

「おじいちゃん泣かんでもええよ、おばあちゃんはきっと天国でおられるとよ」
おじいちゃん、孫のM子ちゃんのやさしいことばにはげまされ「ようし、妻の分もがんばるぞ!」とそれまで号泣していたのに、明るく笑ったそうです。
不思議です。M子ちゃんにはおとなの薄い、ときには社交辞令のことばとちがった力がそなわっているのでしょう。
いや、それはテクニックよりも前に研ぎ澄まされた「存在」の迫る動きがあるからでしょう。
この祖父は、幼い生命のもつすごいエネルギーにいかされたのです。

ばらの花幼稚園
長澤幸男

3月 待つ

エレベーターに乗る。中に入って、行きたい階のボタンを押す。
さて、その後、ドアが自然に閉まることを知っていますか?自分も含めて多くの人は、男女の違いもなく、ほとんどの人はドアを閉める記号に指が動いて、早々と閉めてしまいます。時には開ける間をおしむかのように、開ける記号に手がいってしまう。

いつごろからこうなったのでしょうか、はっきり分かりませんが、日本中、ゆとりが消えた時と時を一にしていることは確かであります。

エレベーターのドアの問題なら、深刻にならずとも、こと、育児や教育になると、そうはいきません。
中学の国語の時間、草木は成長を待つ気持ちが大事であって、その反対、助長というのは、無理矢理に引っ張ってしまうと教えられたことを思い出します。

子どもの成長も、あくまで成長を願って、待つ心が求められます。どんなに毎日精密に眺めていても、背丈や重さは目に見えません。しかし、百、二百と日がたつと、確かに、伸びています、重さも増えています。間もなく卒園式、修了式を迎えます。この月はまさに、わが子の成長が目に見えるよい機会です。そして、はやる心を抑えるだけでなく、成長にもっとも気配りなさったのは神さまであることを確認するときでもありましょう。

聖書にこんな字句があります。
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」(コリントの信徒への手紙一3章6節) 
蓋し、心に銘ずる言葉でしょうか。

ばらの花幼稚園
長澤幸男